2014年05月18日

未だに「内脚主導」や「自然で楽なスキー」にもいいところがあったなどという人がいる理由

暫定教程が発表され、外脚主体のオーソドックスなスキー技術が基本とされたはずなのに、「内脚あっての外脚」とか「内脚主導にも利があった」などという人が絶えない理由を考えてみた。

1.その時(その年)の流行りのキーワードを、市野氏が借用してきていたから
市野氏の著作、講演に関して特徴的なことは、その時々(その年)に脚光を浴びたキーワードを借用してきて、スキーの話にこじつけていたことにある。古武術のナンバ歩き、体幹主導などが、その典型と言える。これらは、整体、トレーニングなどに興味のある人には、流行りのキーワードだったこともあり、受けが良かった。しかし、市野氏自身が、それらのキーワードがどの様にスキーに有効であるかを示したことはない。正確には、有効であるとは言ったかもしれないが、具体的に有効性を示せたことはない。また、未消化のまま借用してくるため、意味不明な言明となってた場合もある、例えば、甲野氏の「足を消す」を借用して「内脚を消す」と言ったりしていたが、その具体的な動作を示したことはない。
また、市野氏のパクリ元である甲野氏のナンバ歩きに関しても
http://chiropractic.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_c884.html
のように、必ずしも検証されたものではないことが、明らかになってきている。
古武術の動き方を取り入れることによってスポーツでの成績が上がったという話も、よく語られるが、陸上選手の走り方に関しては上記のナンバ歩きなどとは異なるものであったという事が、明らかにされてきている。キーワードとして共通する部分はあったのかもしれないが。
武術の動き方は、オコリ(予備動作)なく動き始めることが出来るというのが、最大のメリットであり、走ったり跳んだりする際の最高速度や最高到達点を高くすることに関しての効果は、必ずしも期待できるというものではない。バスケットボール、サッカーなどに取り入れて効果があったと言われているが、それは、相手をかわす、相手に予測されない動きをすることなどに効果があったと考えるべきだろう。

借用してきたはいいが、上手くこじつけられなかった例としては、「起こし回転」、「ハイブリッド」など。「起こし回転」に関しては、スポーツ分野から借用してきてしまったため、大元の意味を知っている人たちから不評を買い、「ハイブリッド」に至っては何を意味しようとしたか、全く不明。


2.市野氏のキーワードに対して、勝手な解釈を加えているから
その典型の一つが
http://blog.livedoor.jp/quality_of_life/archives/52070570.html
>例えば両足で立っている状態から右へ移動したいとします。
>その時に左足に力を入れて移動するのではなく、右足を「抜く」ことで
>右に移動するという考え方が「抜き」となります。
<<中略>>
>この感覚がターン後半の谷足に出れば、スムーズに谷方向への重心移動が出来るんじゃないかなって
>感じていた時期に、いわゆる「内脚主導」という言葉が登場するようになりました。
>ここで、内脚主導の概念を活用して谷足を踏み続けないで「抜く」というテクニックを使い
>重心を谷方向へ動かすというのが、私なりの内脚主導の活用方法だった訳です。

市野氏の「内脚主導」は、2004年の同氏の講演資料によると
>(スライド14) ターンが始まり、内側にウエイトがのり、内足が短くなります。
http://www.sak.or.jp/report/2005/kensyu-riron/kensyu-riron01.html
というように、ターン後半の谷足の体重を抜くという話ではない。

本人にとっては、「活用」できる「概念」だったとしても、元々の意味付けと異なった用語の使い方をしておいて、それを根拠に「利」があったとするのは、意味のあることなのか?

3.教程というものの位置づけを理解していない
結構な頻度で言われていたのが、出来ないから理解できない、下手糞にはわからないなどの話。そして、「オレはできる」というのが根拠にしてしまっている。
そもそも教程とは、出来ない人を出来るように導くためのものではないのか?
大袈裟に言ってしまえば、スキーをしたことがない(見たことがない人には、さすがに無理としても)人に、最小限必要なスキーの基本メカニズム、基本動作などを、具体的にわかり易く示すべきもの。そして、可能ならば、誰かに教わらなくても教程の始めの方に書いてあるようなことは自習できるようなものであってほしい。
水平面理論以来、SAJのスキー教程に書いてあったスキーのターンメカニズムなどは、全くの誤りであり、実際の滑りには全く役に立たない。この段階で、教程として失格。そして、「内脚主導」、「谷回りの連続」、これらがどういう動作なのか、どういう操作をするのか、読んだだけで理解できるものではない。

これだけで、充分ひどいと言えるのに、内脚主導にもいいところがあったなどといえるのは、2項に述べたように、市野氏の使ったキーワードに勝手な解釈を加えているからとしか言いようがない。

再びそもそも論で行くならば、スポーツ種目の教程であるならば、そこに示されている動作、操作に関して解釈の余地が残るようなものであっては困る。実行すべき動作、操作が、解釈によって異なってしまっては、何を指標としてトレーニングを行うべきかわからなくなってしまう。
もちろん、操作意識、練習法などに関しては、個人差などもあるため、バリエーションが必要になることは当然としても、基本的な動作・操作は解釈の余地なく定義されている必要がある。
------------
2014シーズン、暫定教程が発表され、これは、この10年にわたる混乱を収拾するためのものであった筈。ところが、未だに、「昔に戻るわけではない、内脚あっての外足」とか「内脚主導、自然で楽なスキーにもいいところがあった」などという言説が絶えない。この原因は、この10年の教程をはっきりと誤りであったと認めることをせずに、「研究を一段落させる」などというまやかしで誤魔化してしまっていることにある。この10年の教程は誤りであったことを素直に認め、それと決別していくことを宣言しない限り混乱は続くし、基礎スキー、ないし、スキースクールに対する信頼は回復しない。
posted by nishida_ski at 02:12| 茨城 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | スキーの理屈 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
結局、分類2も、「ヒントにできるキーワード」でしかないのですね。

教程と言う名の本を出して、未定義のキーワードをばらまいていたと。
Posted by かいぞー at 2014年05月18日 10:07
全ての間違いの元は、基本及び教程の意味や教育本部が何をすべきところなのか、SAJ教育本部自身が分かっていなかったことです。

また、悲しいのは、その下部組織に属するの指導員や一部の上級者ですらこれらの意味を全く理解していなかったことです。

正直、技術バカばかりになり過ぎて、頭の悪さ(言葉の理解)ばかりが浮き彫りになりましたね。
基本や教程の意味が分からないような人達には、とても指導などできませんし、指導されたくありませんよね。
Posted by サンバー at 2014年05月18日 19:03
サンバー様
日本独特の基礎スキーという分野自体が、もう役割を終えたという事なのかもしれません。
Posted by KNJ at 2014年05月18日 22:13
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック